堺市障害当事者部会のブログ
石橋委員の紹介(2)
2011年の4月に、偶然出会った発達障害の当事者さんと、自助グループを始めることになりました。
たった2人からのスタートでしたが、毎月1回会って話をすることが、とても楽しかったのを覚えています。
今まで、親にも兄弟にも理解してもらえなかった「生きずらさ」を、共感してもらえたからです。
発達障害は、外見上、健常者と違いが判ってもらえないことが多く、
発達障害の特性を説明しても、ま ともに理解してもらえる人は、ほとんどいません。
よく言われるセリフとして、
「そんなの誰にでもあることだよ」
「なんでも病気のせいにするな」
「障害があるように見えないね」などです。
自助グループで共感を得たことは、私にとって大きな力になりました。
「あぁ、悩んでいたのは私だけではなかったんだ」と。
いろんなことを試してきましたが、どれも効果がありませんでした。
でも、自助グループに参加することで、私の人生は大きく改善することになりました。
その理由として、
1、他者からの共感によるメンタルの安定
2、いろんな人に事例を見聞きすることで、失敗パターンを学習できる。
3、自分の失敗例を話すことで、アドバイスがもらえ、自己理解が深まる。
4、行政や福祉サービス、医療機関、書籍等の情報交換ができる。
5、コミュニケーションの練習の場
その後、参加者はどんどん増えて、設立から8年。
現在は12個のグループに分化して活動しています。
参加者はのべ年間1000人以上。
それぞれのグループは10人程度の集まりで、グループごとにリーダーさんが運営してくれています。
発達障害に関する講演を依頼されることも多くなってきました。
・医療従事者向け
・教員向け
・親御さん向け
・福祉事業所の職員向け、利用者向け
・電話相談所のボランティアさん向け
・生涯学習の一環として
発達障害を持つ人は、全人口の5%程度を言われています。
今、社会は発達障害の人を捨て置けない状況になっていると感じています。
これからは、「情報発信できる発達障害当事者」として、活動していきたいと考えています。
いつの日か、障害を持つ人が当たり前に暮らしていける世の中になることを目指して。
石橋尋志
石橋委員の紹介(1)
石橋尋志(ひろし)です。
発達障害(ADHD)の当事者です。
現在38歳の会社員で、泉北の工務店で営業職をしています。
27歳の時にADHDの診断を受けました。
ADHDとは「多動性注意欠陥症」という障害です。
脳内の神経伝達物質の異常(過剰)分泌により、極端な衝動性や不注意を引き起こします。
原因は、マイクロRNA484という遺伝子の異常だと言われていますが 、治療法は確立されていません。
みなさんも小学生の時、クラスに一人はいませんでしたか?
お調子者で、いつもガサガサ動いて、やかましい子(笑
それです。
確かな統計ではないですが、全人口の4.5%ほどが該当するといわれています。
私は社会人になるまで、自分が発達障害であることに気づかずに生きてきました。
今になって母に聞くと、私が20歳くらいの時、ADHDではないかと薄々感じていたようです。
私自身は診断を受けようと思うまで、特段困りごとなく過ごしてきました。
しかし振り返って思い出してみると、周囲の人には随分と迷惑をかけてきたなと思います。
具体的には、
・IQは正常なのに、アナログの時計を小学5年生まで読めなかった。
・授業をジッと聞いてられずに教室を飛び出し、そのまま帰宅すること多数。
・刺激を求めて、建物の三階から飛び降りて大ケガ。
・同じく刺激を求めて、裏山で火遊びをしてボヤを起こし補導されたり。
・普段は温厚だが、ひとたび感情的になると極端に暴力的になる。
・皮膚感触に過敏があり、中学生になるまで冬も半そで半ズボンで過ごした。
・空気が読めない。
・朝の起床が遅く、頻繁に遅刻していた。
・短期記憶が弱く、約束事や予定を頻繁に忘れる。
・宿題は一切しない、というか忘れている。
・忘れ物が極端に多い。帽子、カギ、財布、提出物などなど。
・マルチタスクが苦手で、別の事に 気を取られると、もともとやっていたことを忘れてしまう。
列挙するとキリがないのですが、これらの頻度が限度をこえて多いので、社会生活に支障をきたす人もいます。
発達障害全般の特徴を分かりやすく挙げると、
1、不文律や暗黙の了解などが理解しにくい
2、出来ることと出来ないことに、大きな差がある。
3、得意分野は人並み以上の能力を発揮するが、苦手分野を習得するためには5倍上の労力と時間がかかる。
4、いわゆる世間の常識を理解していないことが多い。
5、結果として社会性が実年齢より2割ほど低い。(=幼い)
そんな私も大学卒業後、社会人になり、困りごとを自覚する ようになります。
営業成績は抜群なのですが、事務作業でミスを頻発。
交通違反や見積り金額の誤り、予定のダブルブッキングなどなど。
社会人として最低限のことが出来ないので総合評価は極めて低く、会社に損害を与えることもあり、職業を転々としました。
現在の建設会社に就職して、ようやく平穏な生活が送れるようになりました。
発達障害はまだまだ認知度が低いので、本人も家族も、周囲の人も、特性に気づかずに過ごしていることがほとんどです。
運よく環境に恵まれて社会適応できている人もいますが、その特性ゆえに「生きにくさ」をかかえている人がたくさんいます。
これらの状況をすこしでも改善するため、私は8年前から発達障害の自助グループを設立して運営しています。
発達障害の当事者やその家族が集まり、毎月1回、近況報告をしあう茶話会を開催するのですが、これには劇的に効果がありました。
これについては次回に。
奈佐委員の自己紹介
みなさん初めまして
昨年の10月より当事者委員会の委員になりました車いすダンサーの奈佐誠司です。なさっちと呼んでください。
僕は18歳の時にバイクの事故で車いす生活になり今年で30年。
振り返るとあっという間でしたけれど正直一瞬の事故でその後人生が180度変わってしまった時は絶望しかなく、健常者っていう生活から障がい者って言う生活に慣れるまでにはかなり時間がかかったと思います。
受け入れられない心と体。そして社会の環境。すべてがバリアになり自分自身も心にバリアを張って生きていた気がします。何よりも社会のバリアは今でもあまり変わらないなーとも思っています。
いろんな壁を乗り越えれなく死んだほうがましだーと考えることも何度もありました。
周りの中途障がいの人ってみんな同じようなことを経験して考えるようですね。
10年くらいはいろんな悩みを持ちながらようやく20代後半に出会った車いすダンスが僕の人生を変えました。
当時は全国でみてもほとんど知られていないしやっている人も数えるほどでした。
でもヨーロッパを中心にダンス一つにしても、「踊れる」「学べる」「競えあえる」「楽しめる」などの社会環境がある事を知り、日本で遣りたい、広めたい、当たり前にしたいと思い、ダンスを通して心のバリアフリーな社会を表現したいと普及活動を始めました。全国各地に行って講演会をしたり、イベントで踊ったり、時に路上でパフフォーマンスを遣ったりしました。
その中でも車いすダンスの競技では世界選手権にも3度出場したり、海外にも行きました。
そして今では女優の杉本彩さんとペアで踊ったりさせてもらってます。
やはりダンスを通して心のバリアフリーを考えて頂ける様、表現をして踊っています。
ダンスは僕にとって人生そのものです。
48歳になった今一つ目標ができました。それは2020年の東京パラリンピックの開会式で世界に発信できるダンスを踊る事です。
頑張りますので応援よろしくお願いします。
そしてまた、堺市の当事者部会委員になれた事では障がい者スポーツを通しての経験や、30年という車いす生活から経験した事を活かして地域のバリアフリー活動をより具体的に形になる様な取り組みを考えていきたいと思っています。
奈佐委員のHP
http://nasa.myeki.net/pro.html
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